おもちゃが友達

おもちゃと洋服が好きな気難しいおじさんの日記です。

ウルトラマンジードを最終回まで見て感動しました。

ウルトラマンジードを最終話まで見ました。
基本的に何事にも最終話は泣きがちな私ですがこんなにも清々しく、ウルトラマンの意味というか、ヒーローって良いよねって気持ちを素直に楽しめる作品って凄く嬉しくて本当に良かったです。

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いわゆる平成ウルトラシリーズが始まって今でもウルトラマンティガって私の中で特別な存在なんですが、平成ウルトラシリーズって同時期の仮面ライダーシリーズに比べて影が薄いというか苦労人なイメージが強くて、仮面ライダーと違って毎年同じ時間に放送していたわけでもないし、色々と商売的につらい噂も耳にしてきました。
私自身、17歳の頃メトロン星人を再認識して、実相寺監督の存在を知るまではウルトラマンについて考えることなんて殆どありませんでした。
個人の見解ですが平成シリーズに関して、平成ライダーと大きく差を開かれてしまった原因の一つは、一般的な若年オタクにとって魅力的な作品足り得なかったのが一番かと思います。
ネクサスとかセブンX、ゾーン、ダークファンタジーみたいなイレギュラーは所々あれども勧善懲悪、子供が一人で見てて安心、性善説全快の王道ストーリーが0年代にはハマらなかったのかなって、それでも、と諦めずに作品を作り続けてきた方々の、その積み重ねが結実したのが今回のウルトラマンジードだったんじゃないかなって。
大怪獣バトルやら私が全話フォローしてない作品の時期から登場しているウルトラマンゼロもついにレギュラー、ラスボスがその宿敵ベリアル、当のジードはベリアルの息子と10年代のウルトラマンシリーズからの牽引が強めのストーリーで。

X、オーブを経て概ね完全復活を果たした巨大ヒーロー特撮の繊細なロマンはそのままに脈々と続いてきたゴッドファーザー的なウルトラファミリーの話も感じさせる総決算的な内容でもあり、シンゴジラでのゴジラ文化の復活くらいの感動がありました。

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ジードでない限り、ベリアル発の物語はあそこまで綺麗に終わらないだろうし、だからこその息子なんだなと、セブンの息子として、ベリアルとのストーリーを語ってきたゼロもその人となりが半年かけてようやく染み込んで、ただの恵まれたナルシストって言う個人的なイメージを払拭しつつ、ジードとの対比も絶妙でしたし、ゼロの物語もこれからまた楽しみです。

ここまで書いていて結局なにが言いたいのかっていうと、ゴジラの時と同じなんですが、ウルトラマンが復活したなってことです。
CGだけじゃないミニチュアの特撮の復活とそれを果たすまで血を吐くような思いで続けて来たであろうウルトラマンシリーズのこの20年間、作品を作り続けてきて頂いてファンとしては本当にありがたいことで、その20年が綺麗に実を結んだのがジードなんじゃないかって心底思います。

ベリアルを優しく抱きしめる事が出来るのは濱田龍臣さんの朝倉リクだったしジードが生まれた意味でもあると思います。そう考えるとベリアルのストーリーでも有ったのかも知れませんがとにかく、この20年、ウルトラマンを見てきた我々にとって一つの最適解がジードだったと思います。

生きてて良かったと思ったくらいです。