Alexander McQueenといえば僕世代ではJohn Gallianoと並ぶ二大巨頭な訳で、映画館で見てきた訳です。全身UNIQLOで、しかも全部5年以上前に買ったもの…
以下ネタバレ含みますので…
この本おススメです。
要するに何がってことだけ先に言っとくとあれだけのハイファッションをもってしてもアパレルのビジネスモデルってもう終わってるよねって事なんですけど。
あの映画だけ見てAlexander McQueen氏の自殺の事を何故、と考えると資本主義とかビジネスの人たちが彼を殺したって思ってしまうのですが…劇中の関係者の話をそのまま信じるとすると休みたいけど休めないと思い込んでいる最中お母様がなくなってしまいそのショックから自殺したように感じます。
心と体のメンテナンスがきちんと出来て安定した状態であれば誰が亡くなろうがきちんとお別れしてブレイクスルー出来てたのではないかと…
何故休めなかったのかは自身のブランドのスタッフ達の事を思ってと取れるような発言がありました。
あれだけの大きなビジネスを回している人たちが彼という才能を休ませる事が出来ない、というかそもそも休めない(これは定期的な休暇の意味ではなくて心と体のメンテナンス的なヤツ)ってやっぱりおかしいよねって言う、あんなに世界的に展開して、あれくらいの値段で売っていても自分の仲間を守るだけの金を稼ぐ事が出来ていなかったって事。もう服なんて作って売っても誰も得しねえじゃんて思いました。
それでも休まずやってる人はいるって話なのかもしれないですけど、一部のおかしな働き方している人と比べないでよと…
John Galliano氏もその抱え込んだ仕事からと思われるプレッシャーからトラブルを起こしてたし…
彼らの才能を認めているのであれば、その才能を長続きさせる事がビジネス的にも大きな意味があると思うんですけど違うんですかね、、
脳みそ空っぽな着飾るだけの連中のためにアーティストを食い潰すのマジでやめて欲しい、我々一般人では買い支えるレベルの支援が出来ないから空っぽ貴族の人たちもっとお金払いまくってなんで助けてあげなかったのって、いや違うんだよ休むとか金とかじゃなくて個人で勝手にプレッシャー抱えてるんだよって言われればそうなのかもしれないけど、それってあんまりですよね。
そもそも毎年コレクションやる意味あるか?とか、ある物を長く着ようとすると、結果それを生業にしてる人たちは生活できないしとか、かといって毎年服を買い換えるのってエコ(笑)的な感覚でいうと違うとか、なんかそもそももう当初の目的とか環境とか全部違うんだから同じ事繰り返してたらどんどんジリ貧でしょう。それはエコ(笑)とか愛護とかじゃあなくて。
Haute coutureなんて貴族のもんだし、プレタだって我々が買うようなもんじゃない、欲しい人とか、ファッションモンスターとか言われてる人たちが買ったりするのは別に良いと思うんですけど、そもそも洋服は庶民のものじゃないのになんで庶民に売ろうとしているのか。勘違いして買って勝手に気分が大きくなってる一般人なんなの。
というか、なんで庶民がちゃんとした格好とか良いもの持ったりとかしないといけない空気なんだよ、てめえは天皇とか国王にでも会うのか?あ?なんで綺麗な格好して生きてないと値踏みされるみたいな事をしてくる連中がいるのか?てめえは国王か天皇なのか?あ?※服って着れる事が罪というか、例えば100万のジャケットがあったとして、これが絵画なら美術品だけど、着れてしまう事で自分にとって必需品的な価値があると錯覚してしまう部分があると思います。
知足安分、吾唯足知なんて言われても、もっともっとが人間だもの。といった具合にマーケットを拡大して額が大きくなればなるほど辞められなくなるっていう資本主義ドラッグによって生まれては消えていく諸行無常なのかもしれません。
服が文化たり得ないと思われてしまっていることについてはこちらで文句を書いているので省略しますが、
限られた場所だけではなくて何処の美術館に行っても何かしら観れるくらいになってくれたらこの構造ってちょっと変わる気がしているのですが違いますかね…
僕の大好きな富野由悠季監督は一時期、今の時代は病気って表現をしていたと思うんですけど、その通りだと思ってて、富野由悠季監督はそれは子ども達の時代に残してはいけない的な事も言ってたと思ったんですが違ったらごめんなさい。
そう思っている大人ってまじで全然いないからきっとこの先も病気のまま色んな人が死んでいくんだなあと思ったのが今回みたMcQueenモードの反逆児の感想です。
富野由悠季監督の展覧会も楽しみです。
https://www.tomino-exhibition.com