手短に行きます。
Twitterで電車男の格好が当時全NGだったけど今は全部有りになった、痛快という呟きを見て、
昨晩流れてきたこの電車男。デニムとマドラスチェックのシャツ on シャツで内側のみイン。しかも片側のみ後方へ。ツータックのハイウェストにダンロップ系ズック靴。スタイリストが、正直オタクでもあり得ないような当時のファッションのNG要素をこれでもかと詰め込んだら今は全部アリになった。痛快。 pic.twitter.com/RkWbBvCZMN
— 齋藤 (@saito_d) October 23, 2018
それを呟いた人にどうとかではなく、最近思っていた事について個人的に一つ解決したのでめっちゃ手短に言わせてもらうと。
ファッションて基本的にNGからOKになる過程が一番かっこよく見えて、分かりやすく言うと、ギャルソン、ヨウジとかが出てきた時だったりすると思うんですけど、それって本来精神の話だと思うんです。
以下は私の私感を誰かを不快にするだろうと思いながら入力したので、私に対して耐性の無い人が読んだら何様だ◯ソがと思うと思いますので、ご承知置き下さい。
かっこ悪いとか悪として扱われている事に挑戦する精神はかっこいいんです。
だだ、その価値観に対して誰かが挑戦して、受け入れたられた、というか勝ち取った価値に対して、ダサかっこいいとかレトロなんとかみたいな枕詞って死ぬほどかっこ悪いと思います。
ファッションとなった瞬間に死んでしまう価値感という意味では、ファッションて本当に難儀な存在だとは思うんですけど、私ように日陰で生きてきた人間からしたら所謂ウェイとかスクールカースト上位とかの人が後期追随者としてダサいとされてきた価値観に、脳死状態で飛びつくのは本当滑稽でしかないので、生きるって事から全部考え直して欲しいです。
つまり、人として生きているんだったら自分のかっこいいって価値観を貫いて欲しいんです。
着てるもんがころころ変わる奴とか、髪型がころころ変わる奴ってなんか信用ならないじゃないですかって、私の持論からすると、今かっこいいじゃなくて、あんたのかっこいいってなんなんだよって話です。人から提供されてるもん食い続けてるなら他人を評価する土俵にも立ってない。
以上、